その時、傍観者になるかならないか

こんにちは。福岡臨床心理オフィスです。
9月に入って、秋らしさのある心地良い風を感じることが増えました。

さて、今回のテーマは「その時、傍観者になるかならないか」です。
きっと皆さんにも経験があることかと思いますので、その場面を想像しながらお読みください。


先日、私はある社会的場面で“傍観者になるかならないか”で迷った事があるのを思い出しました。
それは公共の乗り物・バスの中での出来事でした。

バスの中央にある乗り口からすぐ左にある席に、ベビーカーと共に乗車している若い女性が座っていました。その女性は携帯電話でのお喋りに夢中で、傍らに置いているベビーカーの中でぐずっている赤ちゃんへの注意は散漫な様子でした。

携帯電話でのお喋りが長く続き、バスの運転手さんがバス停に到着した際に「お客さん、バスの中では携帯で話をするのはご遠慮下さい」とアナウンスしました。しかし女性には聞こえていない様子でした。
すると今度は、運転手さんのすぐ近くに立っていた年配の男性が「携帯で話すのはやめんね」と少し叱責するような口調で注意をしました。しかし、女性は聞こえない、あるいは聞こえていないふりでお喋りをやめる気配はありません。
そのバスに乗り合わせていた乗客は、約10人。誰もが押し黙って、しんとした空気の中でその様子を見守っていました。
そしてそこには、“傍観者”になる気配が漂っていました。

 

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私はそんな空気の中で「これは学校の中で見たことがある光景だな」と、スクールカウンセラー時代の事を思い出しつつ、同時に「傍観者では良くないかも…」と思いました。

「他に乗客もいることだし、私が介入しなくても誰かが注意するだろう…」という思いから「いや、場所も近いし私が穏やかに彼女に伝えよう」と決断するまで、5秒程度かかっただろうと思います。
私が穏やかに介入し、彼女が不貞腐れながら携帯で話すのを止めた後は、まるで何事も無かったかのように時が流れ出しました。


■沢山の人がいると生まれる“傍観者効果”

 

50年程前に、アメリカの社会心理学者が発表した集団行動の一つに「傍観者効果」があります。
助ける人間が1人ならば迅速に行動するのに、集団になると「誰かが助けるだろう」「面倒な事には関わりたくない」と傍観者になる心理が働くと言われています。

でも、想像してみて下さい。

もし何かがあった時に、周囲が傍観者でいる社会の在り方は恐ろしく、不気味ですね。
社会の中で何が論理的で道徳的な振る舞いなのかを考えていくようにして、多少“お節介かもしれない”と思ったり面倒に感じても、行動したいものです。

(臨床心理士 調)

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