仏教の「慢」と心の成長-福岡臨床心理オフィスの臨床心理士によるブログ-

こんにちは。福岡臨床心理オフィスです。
街角の梅のつぼみが少しずつ膨らみ始め、春の訪れを待ちわびる季節となりました。
とはいえ、朝晩はまだ厳しい寒さが続く日々。体調管理には気を付けたいものです。

さて、毎回“こころ”に関する話題をお届けしている当ブログ。
今回は、若いクライエントさん達との対話から考えた「人と自分を比較してしまう心」と、その先にある成長について綴りたいと思います。

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「人と自分を突き合わせて比較する」という癖

時々、若いクライエントさんからこのようなお話を伺います。

「自分には、人と自分を突き合わせて比較する癖があります。頭の中で常に優劣をつけてしまい、相手を評価してしまいます。なのに、ふとその人の持つ想定外の能力や魅力を見つけると驚いてしまい、それと同時に、自分の評価の単純さにがっかりするんです」。

このお話を聞きながら、過去の私自身にも思い当たる節があるな、と感じ入るものがありました。

実はこの「比較して優劣をつける」という心の働きは、仏教では「慢(まん)」と呼ばれる煩悩の一つとされています。

「比べる」ことで自分の居場所を探す私たち

私たちは、自分の能力や考えが「これでいいのかな?」と不安になったとき、つい周りの人と見比べて、自分がどの位置にいるのかを確認しようとします。

仏教でいう「慢」は、本来は非常に細かく分類されており、自己を基準にして他者と比べる心のあり方そのものを指します。
厳密にはさまざまな分類がありますが、ここでは心理臨床の視点から、日常生活の中で感じやすい形として捉えてみます。

その意味で、私たちが日常的に体験しやすい「慢」には、たとえば次のような側面があります。

・傲慢(ごうまん)
相手を見下し、自分の方が優れていると感じる優越感。

・卑下慢(ひげまん)
「自分なんて……」と過度に自分を卑下することで、実は自分を守ろうとするプライドの表れ。

一見すると正反対のようですが、どちらも「他者との比較を通して自分を定義しようとする」という点では共通しています。

自分という存在が何者であるかを探していく過程で、他者との関係の中で自分を見出そうとすることは、誰にとっても避けがたい道なのかもしれません。

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「相手をジャッジして終わる人」と「そうでない人」

クライエントさん達のお話には「前半」と「後半」があります。

【前半】相手に優劣の判定(ジャッジ)を下して、そこで安心する。

【後半】相手の深さや広さに触れて驚き、自分の単純さにがっかりして「しゅん」とする。

多くの人は、前半の「ジャッジ」だけで交流を止めてしまうかもしれません。
一方で、後半までたどり着ける人は、相手の内面の豊かさに触れる貴重なチャンスを手にしています。

この違いはどこから来るのでしょうか。

一概には言えませんが、もし自分自身がこれまでの人生で、周囲から「1人の人間」として大切に尊重される経験が少なかった場合、自分を守るために、相手を評価・判定する「ジャッジの目線」が強くなってしまう傾向があるのかもしれません。

 

「しゅん」としたその先に、成熟した大人の道がある

相手の未知の魅力に素直に驚けること、そして自分の単純さに気付いて「しゅん」とできること。

これらは、自分の古い思い込みが壊され、より広い世界を受け入れようとしている、心の成長の証拠でもあります。

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特に10代や20代前半の若いうちは、学業など人と自分を比較することでしか自分の立ち位置を確認できない場面も多いでしょう。

ですから、比較せずにはいられない自分を、まずは「そういう一面もあるよね」と認めてあげましょう。

ぱっと目に見える表面的な優劣だけでなく、それらを取り払った先にある、自分自身の深い心を育てていくこと。
それが、成熟した大人になるための一つの道筋なのだと思います。

(臨床心理士 調)

 

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