人の流れや街の動きを定点観測することの大切さ~コロナ禍を通して気付いたこと~

こんにちは。福岡臨床心理オフィスです。
6月も下旬に入り、夏の気配を色濃く感じる日が増えてきました。
熱中症にはくれぐれもお気を付けくださいね。

今回は、コロナ禍の中で「人と会わずにいることと他人への理解の機会が減ること」について書きたいと思います。

博多駅近くにある心理カウンセリング機関「福岡臨床心理オフィス」の女性カウンセラー・臨床心理士によるブログです


■博多駅を通りながら見ていたもの

 

昨年の3月以来、新型コロナウイルス感染拡大防止のために、行動や活動が制限されるようになりました。それにより、これまで経験したことがないような物理的な不便さと、心の不自由さを感じた方も多いのではないでしょうか。

私自身の行動にも、大きな変化がありました。それは、人と会うことを減らす目的として通勤に車を使うようになったことです。
それまでは、バスで通勤していました。バス停へ向かう帰り道のルートは、当オフィスがある博多駅筑紫口方面から博多駅構内の1階を通って、博多口前のバス乗り場へ移動するというものです。

歩きながら、博多駅という福岡市で1番にぎやかな場をチラチラ横目で見つつ、少し楽しい気持ちになったり、時には人の多さに疲れたり…。色々な感情を持ちつつも、私の眼はそこを行き交う人たちが醸し出す“エネルギー”のようなものを感じる毎日でした。

博多口の駅前広場では何かとイベントを開催していることが多く、夏を前にした今の時期には博多山笠の飾り山があり、山を見守る当番の方の法被や締め込み姿を見る機会がありました。
時には九州内の物産直販店が一堂に集まっていたり、満開のバラが飾られて芳香を漂わせていたこともありました。また、にぎやかな音楽イベントが行われていたこともあります。

博多駅近くにある心理カウンセリング機関「福岡臨床心理オフィス」の女性カウンセラー・臨床心理士によるブログです

駅構内では、外国人旅行者の姿を見かける機会も数多くありました。学会やスポーツイベントに参加するのが目的と思われる集団を見ることも、少なくありませんでした。

私は人混みが好きな方ではありませんが、駅には独特の“気”のようなものがあると思います。
コロナ禍で駅や駅前広場から人が減って閑散とした様子を見て、「私は博多駅で、福岡という都市のエネルギッシュな顔を見ていたのだな」と感じました。

さらに、例えば旅行者が道に迷っていたら声を掛けたり、ご高齢の方がふらふらと歩いている様子に「認知症の方かも…」と心配して振り返るなどしながら、“人の生きていく様子”も見ていたのだと思います。
また、バス停でバスを待っている時に声を掛けられたり、バスの中から通りにある馴染みの店を見ていたこともありました。

博多駅近くにある心理カウンセリング機関「福岡臨床心理オフィス」の女性カウンセラー・臨床心理士によるブログです


■通勤手段を変えて気付いたこと

 

現在はバス通勤を止めたために、そういった日常の景色を眺める機会が減りましたが、ふと「私がずっと車通勤をしていたら、そのような場の景色や人々を見ることがなかったとしたら…?」と思いました。
その問いに対して、私が導き出した答えは「他人を理解する機会(チャンス)が大きく減る」というものです。

街中やバスの中で目にする光景として、例えば子育て中の方がバスの中で困っていることや、働いている女性が家事分担ができず夕食支度に追われていること、ご高齢者の行動通学中の子どもたちの様子ビジネスパーソンが行き交い話している姿などがあります。
今の現実を知るためには、そういった“他者の日常や社会の動き”を観察する定点が必要だと思いました。

博多駅近くにある心理カウンセリング機関「福岡臨床心理オフィス」の女性カウンセラー・臨床心理士によるブログです

自分と異なる立場の方が置かれている状況を見ることで、その方の気持ちや行動に想像を巡らせる…。そういった想像力を養うことが、人間を理解するためには大切です。
他者の動きや街の空気を定点観測できる場所を持つことは、そのような能力を磨くためにも必要なのかもしれません。

私のような仕事をする人間にとっては、定点観測する機会が減ることで“大事なもの”を失くさないように注意が必要だと思います。

(臨床心理士 調)

PAGE TOP