こんにちは。福岡臨床心理オフィスです。
4月も終わりに差し掛かり、明日から大型連休に入るという人も多いのではないでしょうか。
今年は久しぶりに遠方へ足を延ばすという人、数年ぶりに友人と再会する予定がある人、家でゆっくりとした時間を楽しむ人…それぞれの人が思い思いの時間を過ごして、リラックスやリフレッシュできるようにと願っています。
さて、月に2回ほどのペースで更新している当ブログでは、臨床心理士としての立場から“こころ”に関する話題をお届けしています。
今回は「メタ認知が自分を深める」と題して、「メタ認知」とは何であるのか、またメタ認知を深めることで変化する部分などについて綴りたいと思います。
メタ認知とは?
「メタ認知」という言葉を聞いたことはありますか?初めて目にした、耳にしたという人もいるかもしれません。
「メタ認知」とは、“自分の認知活動(考える・感じる・記憶する・判断・行動等)を客観的に捉えること”。分かりやすく言えば、“自分のことを客観的に観察して『ふむふむ、自分はこうだな…』と分かること”です。
私がメタ認知について考えるときに想像するのは、ロシアのマトリョーシカのような入れ子構造です。ある大きさの器に、それよりも大きな器を順番に重ねて入れていく様子を、頭に思い浮かべます。
メタとは「高い次元の」「上位の」といった意味のギリシア語「meta」をカタカナで表現したものです。ちなみに最近よく使われる仮想空間をメタバースと言いますが、これは「メタ(meta)」と「ユニバース(universe/宇宙)」を組み合わせた造語とのこと。
さて、あらゆる学習には、メタ認知的なモニタリング(自分の認知を監視する)と、メタ認知的なコントロール(もっと良い方向へ考えよう)が循環して働き合うことが良いとされています。
仮にメタ認知的なモニタリングが上手くいっていないと、自分の現状を俯瞰していないので思い込みが激しくなりますし、次なるステップのコントロール(もっと良い方向へ考えよう)も場当たり的になります。そうなると、良い循環が生まれず達成感が少なくなるでしょう。
ここで考えたいのは、対人関係においての自分です。対人関係において上手くいかない時は、どんな場面でどんな思いになるのでしょう。
「自分の考えや思い」を味わう
↓
「それを見ている自分」で考える
↓
「それは何が(心に)起きているのか?」を考える
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「そうすると一番はじめにあった考えや情緒が意味するものは何か?」と始めの考えが整理されて、循環が生まれます。
こうしたメタ認知がほど良く機能してくれると、自分への捉え方に意味や、より良い方向へ行く知恵が生まれることでしょう。
理想の自分、なりたい自分との乖離
しかしながら、「自分は劣っている」「理想の自分とは程遠い」「こんな自分は嫌いである」と自分への捉え方が否定的で頑なな場合は、自分について振り返ると苦しさを感じるあまり、そのことに目を向けたくなくて心が動かなくなるかもしれません。
もしかしたら、理想が高くてベストを叶えようとする人は、今の自分がみじめに感じられて、それらを考えていくことに耐えられないのかもしれません。
みじめな自分をこころの中に置いておけない人は、そのエネルギーで不機嫌になったり、人に当たったりすることがあるように思えます。もし、こころのプロセスが他人への攻撃で終わってしまった場合、メタ認知の入れ子は小さなままで停滞して、新しい概念も生まれそうにありません。
メタ認知の過程は自分を紡ぐ物語
メタ認知がほど良く機能している人は、みじめさや恥ずかしさ、悲しみを味わいながらも、それらをこころに留めることができそうです。それは例えば、「悲しみを悲しみとして置いておける」ということだと考えています。
そこには少しばかりの辛さに耐える強さが必要ですが、そのプロセスはその人の物語を紡いでいると言えるでしょう。
そういう人が身近な場所で増えていくことが望ましいと思っています。
(臨床心理士 調)