私が出会った「ヤングケアラー」から教えてもらったこと-福岡臨床心理オフィスの臨床心理士によるブログ

こんにちは。福岡臨床心理オフィスです。
2021年も9月に入りました。昨年に引き続き、新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言などにより、これまでとは違う日常生活を送る日々が続いていますね。
気分が滅入りそうなときは、6月にお届けしたブログ記事の「コロナ禍が収束したらしたいことリスト」を作って、明るい気持ちで毎日を過ごしましょう。

さて、前回のブログでは『「ヤングケアラー」に大人が想像を巡らして欲しい』という内容を綴りました。
今回は、私が出会った思い出深いヤングケアラーから教えてもらったことについて書きたいと思います。

福岡の博多駅近くにある心理カウンセリング専門機関「福岡臨床心理オフィス」の臨床心理士によるブログです


■「ヤングケアラー」だった高校生のA子さん

 

随分前の話になりますが、クライアントさんにA子さんという高校生の女の子がいました。彼女と出会ったのは彼女が高校1年生の頃。学校に遅刻することが多く、時には休んでしまうこともありました。
そのことが原因で単位が足りなくなる心配がありましたし、本人はやる気が出ないことや生きることの虚しさに苦しんでいました。
幸運にもカウンセリングには真面目に通うことが出来ましたので、卒業するまでの3年間、カウンセラーとしてお付き合いをしました。

A子さんは母親と2人暮らしです。母親は精神的な不調を抱えていましたが、医療機関にかかって治療できる類いのものではなかったため、A子さんは母親の話の相手や家事などに追われる日々を送っていました。
母親が語る内容は、父親(夫)への不満や周囲の人たちへの不満、店の対応への文句などでしたが、A子さんは成長と共に母親の言い分に違和感を持つようになりました。

父親は仕事の都合で離れた場所で暮らしていたため、周囲に頼れる大人はいませんでした。

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そんな毎日を過ごしていたA子さんですが、当時は「ヤングケアラー」という言葉がなく、「そういう大変な家庭もある」で片付けられていました。広い意味では児童虐待のネグレクトに入るのかもしれません。しかし、通常の虐待とは性質が異なる問題であるため、子どもが「子どもらしい時間を過ごせない」という事実が表面化しにくいのです。

当時のA子さんの日常生活を聞いていると、親が作った環境の中で不条理を分かってもらえない苦しさを感じ、生きていく意味が見いだせずにいました。
「この日常がずっと続くのか…」と、未来に対して何の希望もイメージも持てずにいました。

しかし、A子さんの父親がようやく動いたことで彼女は無事に進学することが出来ました。実家を出られ、母親と距離を置くことが出来ました。


■「ヤングケアラー」の生きにくさに気付かされた

 

思春期特有の感情のもつれによって「生きる意味が見いだせない」と感じ、虚しさを感じる子どもはいます。しかし、今回の場合、親の精神的な問題により不健康な日常が放置されています。
このような中で、「生きる意味が見いだせないでいる子」が存在することを、
A子さんとの出会いによって気付かされました。

当時は、そういった家庭の事情の中で必死に生活している子どもは埋もれていました。A子さんとの出会いをきっかけに、そんな子どもたちの苦しみを知ることになったのです。

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この1,2年で「ヤングケアラー」という言葉や存在がメディアなどで取り上げられることが増えました。
「ヤングケアラー」の概念が普遍的になることで、色々な家庭環境におかれている子どもたちに目が向けられるようになりました。学校でのケアや周囲の大人たちが注意を払うことで、援助を求めている子どもに気付くかもしれません。
これは、大きな前進であると思います。

(臨床心理士 調)

 

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